2008年3月22日土曜日

転写ファクトリーのダイナミクス

 ソニーコンピュータサイエンス研究所の北野 宏明 先生が、『システムバイオロジー』で説明されている通り、細胞内の現象をシステムとして捉えるときには、高精度かつ大規模な実験が必要です(1)。

 DNA マイクロアレイ法は、遺伝子の測定法の一つです。本法は、オリゴヌクレオチドを高密度に基盤に搭載することにより、RNAの量を網羅的に定量することが可 能です。したがって、システムバイオロジーでは、マイクロアレイ法を利用して、遺伝子発現データからの知識抽出を行う研究が数多く行われています。

 今回紹介するテーマは遺伝子発現です。最近開発されたタイリングアレイをつかうと、転写されているRNAをほとんどリアルタイムで正確に測定できつつあります。これを使って、RNAの転写のメカニズムに迫ります。

 まず、転写反応の背景を簡単に説明します。これまで、DNAの転写(遺伝子発現)の素過程は以下のように考えられていました(2)。

1.RNAポリメラーゼIIを含む転写因子複合体がDNAに結合する。
2.転写酵素(RNAポリメラーゼII)がRNAを合成しながらDNA上を移動する。
3.転写終点でのDNAからの転写酵素複合体の解離


 つまり、転写酵素複合体を編成電車に例えて、おおざっぱなイメージとして表現すると・・・

『電車が一つ一つ連結しながら、線路の上におりてきて、終点でまた、ばらばらになりながら飛んでいく。』

という感じでしょうね。

 しかし、今回ご紹介する実験結果では、転写ファクトリーと呼ばれる転写因子複合体が、核の中で固定されていてDNAが読まれていくと考えられます。

 少し古いたとえですが、

『白黒映画に出てくるような紙の暗号を読む解読機』

という感じでしょうか?

 では、東大先端研の児玉 龍彦 先生の『転写ファクトリーのダイナミクス』についてご紹介します。非常に興味深いので、個人的に大好きな研究のひとつです。



医学のあゆみ 2007年 11・12号 223 (11•12)
■Quantitative Biology −定量的生物学

Fujisan.co.jpで詳しく見る


転写ファクトリーのダイナミクス
児玉 龍彦


【目次】

・遺伝子発現は厳密に制御されている
・染色体上の転写を観測する
・転写は数サイクルの波としておこる
・計量生物学からつくられる転写ファクトリーのモデル
・第二サイクル以降の転写の謎
・癌細胞の染色体転座と転写ファクトリー


【注目したポイント】

・遺伝子発現は厳密に制御されている

 ヒト細胞の不思議のひとつは、どのようにして分子レベルのミクロ情報が細胞の動きや個体の動きというマクロな動態を制御していくか、という点にある。


 フィジオーム(オミックスペース)はしばしば階層構造として説明されます。筆者が言うように、下層に位置するDNAやRNAから生体機能への上向的因果性はよく知られていますがてこの原理でいうと、私も小さい方に興味がすごくあります(5)。

 今回の実験の転写反応のきっかけは、TNFα(炎症性サイトカイン)です。この1つのサイトカインをヒト血管内皮細胞に処理するだけで、500以上の遺伝子が順次転写されていくそうです。時系列の精密な転写誘導は、「オーケストレーション」と呼ばれているそうです。

・染色体上の転写を観測する

 これまでの転写反応の背景は、先述のとおりです。その一方で、実際にはヒトの細胞でmRNAは転写とともにスプライシングなどが起こることが知られていました。しかし、その詳細な観測は技術的に困難だったそうです。

 そこで、筆者は染色体上の配列を13塩基ごとに測定できるタイリングアレイを利用して、7.5分という短い時間間隔でRNAの合成過程を精密に測定することにしました。

・転写は数サイクルの波としておこる

  一般的に、RNAの転写のスピードは3,000塩基/分であることから、100 kb以上の遺伝子であれば30分以上かかって転写されますね。そこで、7.5分間隔にすることにより、4点以上でスナップショット的にRNAの量を観察す ることが可能になるそうです。(個人的にはこのきっちりした戦術の組まれ方に感動してしまいます。)

 そこで、486 kb以上あるZFPM2遺伝子のRNAの発現量を、TNFα処理して3時間後まで観察すると、DNA上の各配列が、順番に転写されていく様子が観察出来て います。(理論的には、ZFPM2は約160分で全長が転写されるはずである。実際のデータは180分までであり、きれいなひと波になっている。)

  さらに、イントロンRNAのin situハイブリダイゼーションや質量分析によるコピー数測定の結果をあわせると、1個の転写ファクトリーでは20個のRNAが一度に作られている計算に なるそうです。また、1つの遺伝子については、2箇所のイントロンが一個の細胞の中で、同時に転写されることはないそうです。(一分子測定は、とても説得 力があります。)これは、ゲノムが固定されていて、転写酵素複合体が近づいてくる従来のモデルで考えると、1つのプロモーターにつぎつぎ転写酵素複合体が 結合すれば、複数のイントロンが同時に転写されるはずであるので、この理論では説明できない現象ですね。

・計量生物学からつくられる転写ファクトリーのモデル

 以上の計測結果から考えられる新しい転写モデルは、「核内に存在する転写ファクトリーにDNAが引き込まれ、20個程度のポリメラーゼが転写反応を進めている」ということになります。論文内ではさらにDNAのねじれをただす機構についても興味深い考察がされています。

・第二サイクル以降の転写の謎

  引き続き、転写を観察すると第2波以降は、第1波の転写パターンほど秩序だった転写の移動が見られないそうです。なぜこのようなことが起こるのかは、現時 点では謎ですが、クロマチンコンフォーメーションキャプチャー法という技術で、DNAを三次元的に観察することで明らかになるかもしれません。

・癌細胞の染色体転座と転写ファクトリー

 さらに、癌細胞における染色体の転座にも転写ファクトリーが重要であるという知見が得られているそうです。


【参考書籍】

(1)システムバイオロジーにおけるインフラストラクチャー(基盤環境)について

システムバイオロジー—生命をシステムとして理解する
北野 宏明
303ページ
出版社:秀潤社
ISBN:9784879622402
発売日: 2001/06
Amazon.co.jpで詳しく見る


(2)遺伝子発現の素過程について

遺伝子発現—ジーンセレクターから生命現象へ
堀越 正美
521ページ
出版社:中外医学社
ISBN:9784498008403
発売日: 2002/05
Amazon.co.jpで詳しく見る


(3)転写ファクトリーの確率論的形成について

細胞核構造と機能のストカスティックな制御
木村 宏
生物物理43(5), 234-239(2003)
J-STAGEで詳しく見る
日本生物物理学会


(4)転写ファクトリーと核内構造(木村 宏)「固定」された転写ファクトリー

転写がわかる 基本転写から発生,再生,先端医療まで
半田 宏
128ページ
出版社:羊土社
ISBN:9784897069944
発売日: 2002/10
Amazon.co.jpで詳しく見る


(5)上向的因果性(階層的自己組織化)

生命-進化する分子ネットワーク—システム進化生物学入門
田中 博
263ページ
出版社:パーソナルメディア
ISBN:9784893622037
発売日: 2007/07
Amazon.co.jpで詳しく見る

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