2008年6月28日土曜日

学ぶということが創造的である

 HIROKI tanahashiさんの、『DESIGN IT! w/LOVE』の記事を読みました。デザインの観点からのエントリですが、研究にもピッタリあてはまることばかりなので、引用しながら意見していきます。

みなさん、どうも勘違いされているようですが、人間って本来、創造的な生き物です。
それをどういうわけか「創造性を発揮するにはどうすればいいのか?」ってヘンな議論になったりする(僕自身、勘違いして同じことをやっていたわけですが)。

本 来、生物として創造的なんだから、あらためて創造的になろうとすること自体、おかしいわけです。でもね、確かにそうしなきゃいけない理由もある。それは何 かというと、創造的でなくなるようなことを、いまの人間ってあまりに多くやってしまっているから。それも日常茶飯事に。

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でもね、創造的でありたいとか思いつつ、ほとんどの人が何かわからないことがあると既存の答えを探そうとしたりしませんか? グーグルで検索するのもそうだし、他人に答えを求めるのもそう。何か分からないことがあると自分でろくに勉強もせずに、セミナーで人の話を聞いて理解しようとしたりします。
それって、まったく創造的じゃないですよね。

 これは、学会発表やセミナーなどで注意すべきことです。「〜という報告があります。」「〜は〜だと知られています。」と、既存の知識を引き合いに出すだけでなく、それを根拠として自分の主張をしっかり言うことが大切ですね。自分で考え抜いた答えなら、十分に創造的だと、HIROKI tanahashiさんは言います。

誰かに何かを質問されて、誰かがつくったような答えではなく、自分で考えて考え抜いた答えを返そうとすればそれだけで創造的で あるはずです。それを正しい答えを言わなくてはいけないと思って、既存の答えを探そうとするから、新しいものを生み出す創造性とはどんどんかけ離れてい く。相手との一期一会の場をわざわざ他の場所で使い古されてきたような正解ばかりを使って埋め尽くし、一言も自分の言葉を話さず、自分の感覚で相手の話を 受け止めようとしない。出された質問に答えるのにも信頼できると思いこんだありがちな方法論を使って答えてしまえば、そりゃ、どこからも新しいものが生ま れるはずはないでしょう。

相手との一期一会の場を創造のために使おうと思えば、できるだけ相手の発する言葉を自分自身の感覚で受け止め、 自分自身の言葉で返せばいいだけです。それを正しい答えを言わなきゃいけないと思ったり、相手や相手の言葉を何かのカテゴリーに無理やり押し込んで理解し ようとしたり、そんな余計なことばかりしてるから創造性は失われるわけです。

「〜という蛋白質が増えていることがウエスタンブロット法でわかりました。」
「それは、なぜ増えているのですか?」
「結果は示されていませんが、蛋白質の安定性が増したのか、あるいは遺伝子発現が亢進したのだと思います。」

 たとえば、このようなやり取りは、日常起こります。個人的には、もっと何か新しい理由がないものかと、考え込んでしまいます。たしかに、反応の基質や触媒となる分子が入れ替わるだけで、生体反応は一定の法則のもとで成り立っていると仮定するなら、それを整理して理解していけば良いでしょう。

 しかし、新しい生体反応を発見して、それを既存のものに追加していくことは、生体をより正確に理解する上では不可欠です。したがって、まったく新しい仮説を立てて検証していくということも必要でしょう。

 上に挙げた蛋白質の例では、その後しかるべき検証実験を行なってから、考察し、その先の仮説を考えていけば良いですね。でももし、2つの可能性が消えたら、その向こうに新しい発見が待っているのかもしれません。

方法と目的を取り違えてませんか?普通にやってれば本当は人間なんて創造的なわけです。それをやたらと方法にこだわるから創造性を失うわけです。

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もちろん、それはどんなツール・方法でもおなじこと。それがどんな役割を果たしてくれるものかを理解しさえすれば、別にその方法にこだわる必要なんてない。それなのに方法そのものを知りたがるし、それでいて自分でそれがどんな役に立つのかを考えてみようともしない。何の役に立つのかを考えずに、どうして方法に興味をもてるんだろ?って逆に不思議に思いますけど、僕なんかは。

方法と目的を完全に取り違えちゃってるんですよね。目的の達成を考えるんじゃなくて、方法ばかりを求めてしまう。方法そのものが目的になってしまう。 何か正しい方法があるかと勘違いして、その答えを学ぼうとするからおかしくなる。そうじゃないでしょ?って思う。創造性は方法を学ぶことだけじゃ発揮され ません。むしろ、さっきも書いたように方法ばかりに頼ろうとするから、本来、人間が持っている創造的な性質を失ってしまう。

勉強するってことを答えを知ることだと勘違いしてません?そりゃ、創造性を発揮するのにも道具や適切な方法を使ったほうがラクなことはある。でも、それは創造的な結果を生み出すという目的にフォーカスしてるからいいのであって、方法から入ったら何も生まれてはきませんよ。

 手段が目的化する。最終目的を書き出して、常に意識しておかないと、これに落ち入ってしまいます。

 また、方法論については、確かに原理を学ぶことも大切です。ただし、それをどのように応用するかを常に考えておかないと知識の蓄積に終わってしまいますね。

本当に学ぶ気があったら知識を得ること自体を目的にするのではなくて、自分の目的を達成することに注力して、その視点から方法が適切かどうかを自分がそれ を使うなかで判断できる目をもつことを学ばないと意味はありません。それに最初から書いているように人間にはそうしや創造的な学びの力がそもそも備わって いるのですから、それを使わずにわざわざ他人のお古のような方法にすがろうとするからいつまで経っても何も身に付かないわけです。

学ぶということ自体が創造です。学ぶということは何より新しいことにチャレンジして、自分自身を変えていくことにほかならないのですから。自分を変える以上の創造的な行為ってないと思うんですけど。

 学び続けるということが、創造的であることにつながるのですね。とても良い記事だと思いました。是非、全文を以下のサイトから読んでみてください。


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  Googleで検索して情報を集めるにとどまらず、自ら考えることの必要性について記事にしています。

● デキる大学院生になろう!
  手段が目的化することを防ぐコツについてまとめています。

● デザインとサイエンス
  HIROKI tanahashiさんのブログを引用した、創造についてまとめた記事です。


【参考サイト】

* DESIGN IT! w/LOVE:学びと創造性


【バックリンク】

◦ 独創的に考える

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